産業医学エッセイ   モノづくりを大切に               


                                 2003年7月7日
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IT革命というのは、ちょっと古いけど、モノづくりが蔑ろにされがちな時代に逆らって、有形無形のモノづくりへの思いを語ります。

 

1)フリーウエアは確かにただ、傘は200円

 インターネットのホームページからダウンロートしたフリーウエアのプログラムはタダです。最近はフリーウエアとはいっても趣味や単純な業務上立派に使えるものもあり、立派なはたらきを持ったソフトがタダで入手できるのです。それはウィルスやスパイウェアが混ざっている可能性、なきにしもあらずですが・・・。

例えばMP3という音楽ファイルをパソコン上で録音(エンコード)・再生(デコード)するソフトはフリーウエアのプログラムでタダです。

このためあわてんぼうの論者は、

「だから価格破壊だけではダメなんだ、超短納期でなきゃ!」

PCさえあれば、熟練の技はいらないんだよ!」

「高度情報化社会でモノの価値は限りなくゼロに近づいていくのは当然だ! だからモノを作ることには価値がなくなって、ソフト化すること、いや自社でソフトをつくるのではなく、ソフト化に投資することのみに生き残りの道があるんだ!  」

などというけど本当だろうか?

 

管理人はいつも背中にリュックをしょっている(スーツを着ていても)。多分、小柳ゆきのコンサートに行くときもそうだろう・・・で、軽い傘が欲しくて、100円ショップに行ったら、折りたたみの傘が200円で売っていた。

本当、ほんとうにモノが安くなっていく。子どもの頃、確かアイデアルという会社のブランド傘会社があったけど・・・今は、よっぽどのお金持ちでない限りメイド・イン・チャイナの200円のを買う。

矢田亜希子さまならウン万円もするブルガリの傘・・・ブルガリで傘を作ってんだろうか?・・・をお買いになるかもしれないが。

確かにモノの値段とそれを作る人間の給料は限りなくゼロに近づいていくように見える。

油にまみれてラインの機械をメンテナンスするのは時代遅れかもしれない。

でも自宅のPCで試作機のシミュレーションをやるのが、本当に格好いいのだろうか?

 

2)ソフトとは人間の作業過程の結晶

音をパソコン上に記録することは

@音をAD変換して0と1の電気信号にかえて

A文字通り複雑な計算(高速フーリエ変換など)をコンピューターにさせハードディスクに記録する

以上の作業手順がプログラム言語として電磁気的に記載されたものがプログラムです。

作業のAは別にPCがなくても電卓やそろばんであっても何年もかければ手計算でできるもの。

要するに、PCのプログラムというものは、人間が行う複雑な計算手順をパソコンのメモリやCPU という小さな小さな機械群に移し変えて、機械に作業させているに過ぎません。こういうことを「対象化」といって、ベテランのソムリエのマナーや技をマニュアル化して、ファミレスなどで普及することも対象化といいます。  

                 

 

3)プログラムとは? 

パソコンという自動機械が「かくあるべき動き=人間の現実の動き=計算」の内容と手順を忠実に記載、写したしたものがプログラムです。

 

ご注意

頭の中で考えたソフトウェアというものが先に存在し、音楽ソフトという現実が生じるように見えるので、「考える故にわれあり」「思考は現実化する」(ナポレオン・ヒル)という発想も生まれやすい。これはこれで夢があって能天気だけど・・・

 

でもこのようなプログラムに相似したものは以前からありました。楽譜とその演奏法を解説した教本です。これは紙という媒体に記録されて入手します。フリーウエアも必ず紙ならぬ電話回線やケーブルという、インフラを通じてでないと入手できません。

インフラや媒体のないコンテンツというものはありえません。将来、技術が格段に進歩してニュートリノ波に情報をのっけたとしても、それを受信、発信する装置=インフラが不可欠です。

インフラや媒体のコストを支払うのはもちろん結局はユーザーです。十分なはたらきを持つ情報は結局はインフラと媒体という衣をかぶって商品になるのです。一見ただで手に入るように見えるけど、他のところで機械装置を高い金払って買わなきゃなんない。

・・・ちなみに管理人は愛機Jornada568を3台20万はかけたのです・・・

 

こういうのは私たちの日常生活に他にもあって、

@大学の掲示板に就職などの有用情報を書いてはり出していることなどと同等です。

Aあるいは古老の話す民話(ソフト本体部分)を書き留めて紙のファイル(媒体部分)に綴じ込んだ場合と同じですね。

これらの役立つ情報を使用したい人は彼の脳という媒体か、メモ帳あるいはモバギなどの媒体商品(厳密には、かつての商品)に記録します。

 

そこで1MBのフリーウエアをダウンロードするコストはタダではありません。最低限、電話の基本料金・プロバイダヘの料金を含めた金が必要です。つなぎっぱなしでも月5000円とか6000円かかる。皆が皆、一日12時間もネットサーフィンするわけでないから、1日1時間使うおじさんなら1時間当たり200円。もちろんいつもダウンロードしているわけではない。1日1つのフリーウエアをDLすると1つのソフトあたり200円。それをため込むハードディスクがいくら安くなったといってもパソコン込みで15万前後はするでしょう。どんなにPCを上手に使っても、せいぜい4年が限度。15万を48ヶ月で割れば、月あたり3000円。1日当たり100円。

故に1個のフリーウエアといっても200円+100円=300円はかかるのです。そう毎日90分PCに向かったとしても200円でチャイナの傘くらいの値段はする。

このおカネ=富がPCメーカーやインテルとか、C言語を提供するソフト会社、通信会社などの収入になるのです。

 

 

 そして忘れてはならないことに、フリーウエアのソフトをただで提供する人々がいてこそ・・・つまり情報=コンテンツを作り出す人々がいてこそ、これらの会社のビジネスが成り立つのです。そういうコンテンツはポコポコと湧き出るのではなく、デバッグを繰り返し(管理人の場合、推敲と校正ですな)、汗水流しワーキングパワ−を消耗させて完成するのです。

そう、コンピューター、コンテンツなければただの粗大ゴミ! なのです。

 

どんなに科学技術が進歩しても、有形無形のモノを作るということから富が生まれるのであって、独りでに富が生まれてくるわけではない。モノつくりをする会社、モノつくりをする人間が大切にされたいものです。

 

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